アメリカ(ニューオーリンズ)
ニューオーリンズはルイジアナ州で最大の都市。観光地としてもとても人気らしい(恥ずかしながら行く直前までそんなに人気とは知らなかった)。ダウンタウンのフレンチクオーターというエリアに5/7〜5/11の間滞在。フレンチクオーターはミシシッピ川に面しており、ヨーロッパ文化が強く感じられる。
ニューオーリンズは19世紀初頭までスペインやフランスなどに統治されており、最終的には1803年にはナポレオンに売却されアメリカ領に。17世紀前半からは、黒人奴隷がアフリカからアメリカに連れて来られるようになる。ニューオーリンズでは黒人は2つに区別されていた。①アフリカから奴隷として連れてこられた黒人達と黒人奴隷と、②白人の間に生まれた混血、クレオール。黒人とは区別されたクレオールは白人同様の教育を受ける事ができたらしい。複雑な人種が混在することがニューオーリンズをユニークな都市にしている。この歴史から生まれたのがジャズ、そしてクレオール料理&ケイジャン料理。
ジャズ
ジャズはアメリカに奴隷として連れて来られた黒人音楽を含むアフリカ系音楽と西洋音楽が混ざり、19世紀末から20世紀初頭にニューオーリンズで誕生したとされている。ニューオーリンズにはプリザベーションホールというジャズ好きにはたまらなく有名な音楽ホールがあり、相当な大物も演奏しに来たりするそうです。といいつつ、ジャズの素養がない私にはプリザベーションホールに行っても、本当のよさが分からずもったいない&申し訳ないので行ってません…。ちなみにニューオーリンズでは街角でもジャズ演奏をしている人がいる。通りから見られるので、そちらを遠巻きに楽しみました。いつかジャズに詳しくなったらニューオーリンズに戻ってきてジャズバーをはしごとかしてみたいものです。
クレオール料理・ケイジャン料理
フランスを中心としたヨーロッパの料理とアフリカや先住民の料理などが混ざり合ったクレオール料理と、18世紀に現在のカナダ東部のアカディア地方からルイジアナ州に移り住んだフランス系住民が継承したケイジャン料理がニューオーリンズ名物。
まずクレオール料理について。前述のような歴史的背景からヨーロッパ、アフリカ、アメリカの料理が融合したもの。フランス植民地時代は伝統的なフランス風ソースの味付けが特徴だった。料理の味はマイルドだけれど、手のこんだ下ごしらえがしてある。当時、食事の調理を担当したのはアフリカ人の料理人で、彼らは食物について独特の知識をアフリカから持ち込んでいた。香りを増すために弱火でゆっくりと火を通す方法もアフリカ人奴隷たちがもたらしたもの。さらにフランスの調理法や南北戦争後イタリア人がニューオーリンズに入ってきたことも影響。トマトベースのジャンバラヤが代表例でしょうか。
次にケイジャン料理。カナダ東部のアカディア地方に住んでいたアカディアン(アカディア人)という言葉がなまり、ケイジャンという名前になったと言われている。このアカディア人はもともと17世紀前半フランスからアカディア地方に渡って来た人たち。1755年、英国がアカディア地方を獲得し、彼らは退去せざるを得なくなる。アカディア人はその後30年間さまよい続けたらしい。フランスに帰った人もいたけれど、仕事が無く英仏戦争のために受け入れられなかったとか。大変だったのですね…。1785年、当時フランスの後ルイジアナ領を統治していたスペイン王室が、ルイジアナ領地に住まわせる人々を切に必要としていたため、故郷を追われた難民アカディア人の生存者をこれ幸いとルイジアナ領に定住させることにした。アカディア人は領内の住みたいと思う地域、つまりニューオーリンズまたはその周辺の湿地帯を選択することが許されたけれど、生来が地方人であったアカディア人は町より田舎の湿地帯を選ぶ。豊かな沼地地域では、新鮮な魚や野生の動物が豊富に獲れ、肥沃な土壌からは美味しい果物と野菜が収穫できた。アカディア人は手に入る材料で調理しつつ、料理に刺激を加えるため、ハーブや香辛料の使用するようになる。
このクレオールとケイジャンの料理法がブレンドしたものが現在のルイジアナ料理となる。私のお気に入りはジャンバラヤ。トマトベースの炊き込みご飯。起源はスペインのパエリアにあるらしく、クレオール料理に分類されるのかと思うけれど、ケイジャン料理に分類されていることもあり微妙なところ。
奴隷制度
ニューオーリンズの文化に触れると奴隷制度の歴史と色濃く結びついていることが分かる。アフリカから連れて来られた黒人奴隷の多くは綿花プランテーションで働かされたという。フレンチクオーターから車で1時間程の場所にある「オークアレー・プランテーション(Oak Alley Plantation)」もそのひとつ。
広大なプランテーション敷地内には28本の樫の木が造るトンネルがある。
プランテーションハウスは当時の農園主家族の住まい。立派な建物。ドレスの女性は中の案内をしてくれるガイドさん。
一方、奴隷として連れて来られた人たちが住んでいたのはこのような小屋。小屋の中には当時の彼らの生活の様子や、彼らが逃げないようにとはめられていた手かせや足かせの展示もある。
アメリカで博物館等に行くと、よく奴隷制度そして人種差別の歴史に関する展示を目にする。ほんとに多い。日本にいると異なる人種の人と接する機会が少ないのであまり意識されないけれど、アメリカにいるとそこここで肌の色で未だに縛られていることが感じられる。もちろん、逆に感じないこともある。
ニューオーリンズの街で演奏されるジャズはかっこいいし、ジャンバラヤなどのルイジアナ料理はどれもおいしい。けれどの誕生の背景には黒人奴隷として連れて来られた人たちのいろんな思いがあるのだろうと想像を巡らせ始めると何とも複雑。
観光はもちろん楽しみつつ、アメリカにいる間に少しでも多くこの地での歴史を学びたいなと感じています。
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